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 和算の大家 関孝和i

 書  籍

●『発微算法』1674年。生前唯一の書。

●『括要算法』1712年。弟子・荒木村英による遺稿集。関ベルヌーイ数、増約、損約術、零約術、角術、円周率術、弧術。

「三部抄」後世の写本。

 『解隠題之法』関・ホーナー法による方程式の解法。

 『解伏題之法』行列式。

 『解見題之法』関の理論か弟子の理論か不明。

「七部書」後世の写本。

 『開方飜変之法』方程式の根のありようで式を分類。

 『病題明到之法』誤った問題を正しい問題に修正。

●『発微算法演段諺解』弟子・建部賢之(かたゆき)野」著。

 関の弟子

 関の弟子に建部賢之(かたゆき)、賢明(かたあきら)、賢弘(かたひろ)の3兄弟がいる。建部家は直参旗本の右筆として将軍家に仕えていたが、3人は数学の道に進んだ。1676(延宝4)年、賢明(16)と賢弘(13)は兄・賢之を追って関の弟子となった。

 『算法大成』の編さんは関、賢明、賢弘が1683(天和3)年に始め、元禄ノ中年に12巻が完成した。だが、推敲の余地が残された。関は「爾歳病患ニ逼ラレテ考検熟思スル事能わず」、賢弘は暦算家として多忙であった。

 再編は賢明1人にかかった。1701(元禄14)年から1711(宝永11)年の10年をかけて『大成算経』20巻が完成した。

 賢弘は『元禄日本図』を修正して『享保日本図』を作成した。1722(享保7)年には徳川吉宗に『綴(てつ)術算経』を献上している。

 三瀧郡智と三俣久長は『発微算法』の校正者に名を連ねる。三俣の弟子に小泉次郎兵衛がおり、小泉の弟子に毛里田村只上(現・太田氏只上町)の板橋定四郎がいる。

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